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あらゆる物事をM視点で語るブログ

日々妄想

ダメおやじ

松本人志の新作はSM映画


正直、松本人志映画は『さや侍』で懲りているのですが、この情報が本当ならば今回こそは期待したい。きっとM男としても信者としても満足できる、もの凄いものを撮ってくれることでしょう。
最低限ペニバンシーン位は入れてほしい。できれば、3Dで。IMAXならなおよし。


ところで『ダメおやじ』というアニメをご存じですか?ネット上で、松本人志が参考にすべきSM作品として『花と蛇』『家畜人ヤプー』と並べて紹介されていたのですが、これが想像していた以上のハードSMものでして。本当にこんなのが地上波で放送されていたなんて信じられません。


      

トイ・ストーリー

今日、7月8日は『トイ・ストーリー3』の地上波初放送ですよ。
http://animeanime.jp/article/2012/06/21/10572.html


皆さん、この作品だけは観ておいた方がいいですよ。見ないと損ですよ。特に、我々M男は必見です。
何故なら『トイ・ストーリー』ですから。トイ・ストーリーですよトイ・ストーリー。玩具の物語。
つまりS女性の玩具たる、我々の物語ですよ!
…何が、つまりなのかって話ですが(笑)論理の飛躍もいいところです。

ですが、あえて言い切ります。トイ・ストーリーは我々の物語だと。
だってさあ、身に覚えがあることばかり出てきますよ、トイ・ストーリー観てると。
新しい玩具が登場して嫉妬とか身体に名前を書かれて大喜びとか捨てられる痛みとか。


『トイ・ストーリー3』の吹き替え版予告編のキャッチコピーがなかなかよくできてまして。

「どうして君は、大人になるんだろう…。どうして僕は、大人になれないんだろう…。」

この想いわかる気がするんですよね。素敵な素敵なS女性に対してほどこういった気持ちがよぎりませんか。
いつかこの方は俺を置いていくのだと。捨てられるのだと。
今は鞭で楽しく打ってくださっていても、椅子として心地よく座ってくださっていても、ペニバンで激しく犯してくださっても、
いつかは捨てられる。
新しい楽しみを見つけ、仕事に夢中になり、素敵な男と結婚し、マゾなおもちゃのことなど忘れ、捨てるのです。
或いは、マゾ側の私達の方が捨てることだってあるでしょう。いままでも、捨ててきたのでしょうし。
言ってしまえば、SMで結びついた関係なんてその程度のものなのかもしれません。いつかは捨て去るもの。
どんなに楽しくても、いつか玩具からは卒業しなければならないのですから。

だからこそ、『トイ・ストーリー3』のラストは心に響くというか。あれは何だろう。個人的には完璧とはあのシーンを指すのだと思ってます。
捨て去られる事を運命付けられた者達が生み出した永遠。考えてみれば、人それぞれ心の中に永遠の玩具というものがあるんですよね。それを思うと救われるますよね…。

まあ、とにかく『トイ・ストーリー3』は7月8日夜9時より日曜洋画劇場で放送ですよ。
ちなみに、『トイ・ストーリー』が7月11日、『トイ・ストーリー2』が7月18日にTBSテレビ系「水曜プレミアシネマ」で放送とのこと。
…順番に放送しろ!

M視点で語る映画⑨『ミッド・ナイト・イン・パリ』

『ミッド・ナイト・イン・パリ』という映画を観ましたよ。
ストーリーはこんな感じ↓

ギル(オーウェン・ウィルソン)は婚約者(レイチェル・マクアダムス)と共に、彼女の両親の出張に便乗してパリを訪れる。彼はハリウッドで売れっ子脚本家として成功していたが、作家への夢も捨て切れずにいた。ロマンチストのギルは、あこがれの作家ヘミングウェイや画家のピカソらが暮らした1920年代の黄金期のパリに郷愁を抱いており……。(シネマトゥデイより)

いや、いい映画でした。大人のデートムービーって感じ。つまり、私みたいな童貞に毛がはえたようなクソ虫が観ちゃいけない映画ですね。

何と言うかですね、憧れの女御主人様が『ミッド・ナイト・イン・パリ』を観ている姿を見ていたい、そんな雰囲気の映画なんですよね。
例えば、メイド奴隷として部屋の角で御主人様の呼び出しに備えて待機していたとしましょう。
御主人様は赤ワインなんかを嗜みながら、テレビを観ています。
その時、テレビ画面が映し出してるものって、実は重要な気がするんですよね。つまり、御主人様が何を観ているか。
私としては、そんな時バラエティー番組や報道番組より映画を観ていてほしいのです。それも、『ターミネーター』や『ロード・オブ・ザ・リング』のようなハリウッド超大作や、あるいは『風と共に去りぬ』のような文芸作品ではなく、肩肘張らず、それでいて上品、そんな作品を観ていてほしい。そう『ミッド・ナイト・イン・パリ』のような。
もうね、『ミッド・ナイト・イン・パリ』を観るご主人様の図、を想像するだけでウットリしてしまいます。
いえ、もっとあけすけに書いてしまえば、『ミッド・ナイト・イン・パリ』を観るご主人様の図は、私にとって自慰ネタになり得ます。
男友達と素敵なレストランで『ミッド・ナイト・イン・パリ』を語り合う御主人様がとかさ。たまらんですね。
石ころ帽子を被ってずっと眺めていたいですね。
淫語ですよ。淫語。御主人様の口から出る「ミッド・ナイト・イン・パリ」という単語は。
私にとっちゃ「お○んこ」より「ミッド・ナイト・イン・パリ」ですよ。

邦画にはそういった映画ってないんだよなあ。
御主人様にワインを飲みながら観ていてほしい映画がない。
邦画でももっと大人のための映画があってもいいと思うんですけどね。悪い表現で言えば、気取った映画。
ある方が日本人は何でも敷居を低くしてしまうと仰ってましたけど、その通りだよなあと。
大体、私みたいな奴が『ミッド・ナイト・イン・パリ』を観れてる時点でおかしいんですよね。
「お前みたいな童貞臭いマゾが観る映画ではございませんし、観ても楽しめないと思いますよ、坊や。」と断わらないと。
…そんな映画館があったら、門前払いされるために通い詰めますけどね(笑)

M視点で語る映画⑧『デス・プルーフ』

あらすじ
スゴ腕スタントマンのマイク(カート・ラッセル)は、愛車“デス・プルーフ”に乗り、美女をナンパしては死のドライブに誘っていた。ある日マイクは、テネシー州で豪快なスタントライドを楽しむ3人の女性たちに目をつける。いきなり車をぶつけ、しつこく追い回すマイクにキレたゾーイ(ゾーイ・ベル)たちは、決死の猛反撃に挑む。(シネマトゥデイより)


…もしかしたら、この作品は私にとって理想の1本かも。
といっても、そのストーリーに感銘を受けたわけではありません。むしろ上映時間の大半が退屈で仕方ありませんでしたから。何だか、ストーリーの伏線になってるんだかなってないんだか判別つかないような駄話が延々と繰り広げられるんですよねえ。あれはなんなのだろうか。わけがわかりませんでした。
勿論、この作品の監督であるタランティーノを語るときに避けては通れない、過去の映画の『サンプリング』やら『オマージュ』やらが私の琴線に触れたわけでもありません。というか、そういうのわからないです。タランティーノのような豊穣な映画体験も映画愛も持ち合わせてないですしね。

それでは、何が私にとって理想の1本足らしめているか。
答えは単純です。クライマックスのカーチェイスシーンが最高なのです。
もうね滅茶苦茶燃えるんです。こんなにも興奮したカーチェイスシーンはありませんでした。
そして、何よりこのカーチェイスシーン、マゾ的にも萌えるんです。だからこそ最高なのです。
あのヒーヒー言いながら逃げるおっさんの車に、汚い言葉を浴びせながら超絶ドライビングテクで追い回すかっちょいいおねえさん達の姿!
こんなにもマゾ的に興奮したカーチェイスシーンがあったでしょうか。
断言してしまいましょう。

これぞ理想のマゾ映画だ!!


…それにしても、ここまでマゾの琴線に触れるカーチェイスシーンを生み出したタランティーノには、どうしても疑いの目を向けてしまいますね。
こいつ、私の同士ではないのかと。

M視点で語る映画⑦『スーパー!』

あらすじ
さえない中年男フランク(レイン・ウィルソン)。彼の妻(リヴ・タイラー)がセクシーなドラッグディーラー(ケヴィン・ベーコン)の後を追って家を出てしまう。愛する妻を取り戻すため、彼はお手製のコスチュームに身を包みスーパーヒーロー“クリムゾンボルト(赤い稲妻)”に変身。イカれた女の子ボルティー(エレン・ペイジ)を相棒に、危険地帯の犯罪に立ち向かうフランクだったが……。(シネマトゥデイより)


…何と素晴らしい作品。個人的には『キック・アス』『劇場版神聖かまってちゃん ロックンロールは鳴り止まないっ』『X-MEN:ファースト・ジェネレーション』と並び今年度ベスト映画候補です。

あらすじを読んでの通り、神の啓示を受けた主人公はスーパーヒーロー“クリムゾンボルト”となって悪党退治に精を出します。
但し、その悪党退治の描かれ方がまあ凄惨なわけです。何しろ、クリムゾンボルトが使用する武器がレンチですからね。退治する悪党が、列を割り込みするカップルですし。
カップルにレンチでガンッ!額がパッカーですよ。これがヒーロー?っていう。
で、相棒役のボルティーが登場してからはさらに酷くなって。もうドン引きです。
悪党に車で突っ込んでドンッ!脚がグッシャーですよ。これがヒーロー?っていう。

お分かりかと思いますが、ここで浮かび上がってくるテーマは『正義の名で執行される行き過ぎた暴力』あるいは『神の名で執行される行き過ぎた暴力』ですね。それこそ、世界中の表現者達が繰り返し問うてきたテーマです。
当然、本作『スーパー!』を観て色々思うことはありますし、実際語り合うこともできるでしょう。
ですが、私が惹かれるのはその浮かび上がるテーマではなく、むしろその表層の、倫理的な問いかけを飛び越えてただ怒りに身を任せる主人公の姿そのものなんですよね。色々と思い出し、泣けて仕方ありませんでした。

個人的な話になりますが、私は虫も殺さぬような大人しい人間なわけです。自分で言うのもなんですけど。今までの人生、誰かに対して怒ったことなんてほとんど記憶にありません。大抵の事はヘラヘラ笑ってその場をやり過ごすだけです。
そんな私が怒りに身を任せて暴力を振るったことがあります。
といっても、へっぴり腰で蹴りを入れただけです。蹴りを入れただけですが、その時はこう思ってましたよ。
「殺してやる」って。
とても肯定されるような過去ではありません。肯定するつもりもありません。
ですが、私にとってその「怒りに身を任せて暴力を振るった」体験は、かけがえのない大切にしている記憶なのです。
勘違いしてほしくないのは勇気を持って相手に立ち向かったから、かけがえのない大切な記憶になったわけではないということです。どう表現すればいいのでしょうか、もっと単純に、殺意を持てた、我を失えた事への感動といいますか。

或いは、もっとM視点的な思い出から語りますと、私人生において数回だけS女性に自分の恥ずかしい姿の画像をメールしたことがありまして。
これが不思議なことに、私の脳内ではマゾとして興奮した体験談として分類されていないんですよね。前述の嫌がらせを受けた相手に蹴りを入れた体験と同じところに分類されているんです。
つまり、かげがえのない大切にしているしている記憶。これまた良くいえば忠誠心、悪く言えば欲望に身を任せて我を失えた事への感動だったのかなと。
なんと表現すればいいのか、私は私から自由になれるのだという感動。私は私ではないのだという感動。
…うーん、後付けかな。


映画の話に戻ります。
終盤、ある出来事によって主人公は復讐の鬼と化し、更なる凄惨な暴力を繰り広げます。
もう目を背けたくなるような暴力なのですが、それでも怒り身を任せる主人公の姿に感動してしまうんですよね。
何なのだろう、あれは。

そして、ラスト。おそらく、賛否が分かれると思います。暴力の肯定ととれますから。ですが、私は大好きです。
そりゃ、暴力は悪ですよ。でも…。でも…。でも…。
そう、やっぱりかけがえのない大切な記憶なんですよね。否定しきれない大切な記憶。
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makoto139

Author:makoto139
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