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あらゆる物事をM視点で語るブログ

日々妄想

M視点で語る映画⑥『大奥〈男女逆転〉』

あらすじ
男だけを襲う謎の疫病が席巻して8割の男が死に至った江戸時代、すべての重要な仕事を女が占め、男が体を売るという男女逆転の浮世と化していた。その結果、一人の女将軍(柴咲コウ)に3,000人の美しき男たちが仕える女人禁制の男の園、大奥が生まれ、ぜいを極めていたが、そこに一人の若い侍(二宮和也)がやって来る。(シネマトゥデイより)


今さらですが、私はマゾです。そして、マゾに生まれたからには、マゾとしての生(性)を楽しみたいと思っています。
そんな風に考えている私が、レンタルビデオ屋で『大奥〈男女逆転〉』というDVDを見つけたらどうするべきだろうか。
…借りるでしょう!
何せ男女逆転ですよ。男女逆転。きっと、女尊男卑的シーン満載の作品で、3回はいけるはずだと考えた私を誰が責められようか。



…まあ、実際は1回もいけなかったのですが。いえ、それ以前に女尊男卑的シーンなんてほぼ皆無ですよ。
あるのは、二宮君の半裸シーンとか、二宮君と美男子の殺陣とか、二宮君と美男子のキスシーンとか、男に犯されそうになる二宮君とかです。
二宮地獄ですよ。二宮君ファンだったら2,3回はいけるのでしょうけど。
要するに、これはある種の女性へ向けての作品なのでしょう。目の保養作品といいますか。間違っても、マゾ向けの作品ではないのです。皆さんもお気を付けて。ああ勿論、二宮君好きのマゾの方はその限りではありませんが。


とはいえ、マゾ的に見応えのあるシーンもないではありません。
例えば、徳川吉宗演じる柴崎コウは威厳があって良かったですよ。二宮君を見下ろすシーンなんかは使おうと思えば使えます。
あとは、将軍(女)のはじめての相手をする男は、性の手ほどきをする重要な役割であると同時に体を傷つける重罪人でもあるので、打ち首となるという設定は面白いなと思いましたね。
処女の相手になるということは、死を意味する。いいですねえ。


というわけで、結論としましては柴崎コウの威厳でいきましょうということで。

M視点で語る漫画②『ホムンクルス』

これまた今さらのネタですが、ビックコミックスピリッツで連載されていた『ホムンクルス』が完結したのでコミックスでまとめ読みしました。その感想をば。
以前は話の端々に出てくる精神分析的な解説がどうにも肌に合わなくて途中で読むのを止めてしまったんですね。それは、再読時も同じ感想で。意図的ではあるのでしょうが、登場人物が直面する問題とその解決方法があまりに手垢がつき過ぎたもので、新鮮味が全然ないんですよね。幼い頃の歪んだ家族関係がトラウマになって云々とか本当に飽きましたよ。
ただ、残り1.2巻辺りからそれを補って余りあるほど面白くなります。クライマックスなんて衝撃そして、大爆笑ですから。未読の方は是非。

以下、ネタバレというほどではありませんが一応隠します。

M視点で語る映画⑤『ブルーバレンタイン』

恋愛映画です。普段恋愛映画なんて観にいかないのですが、良い評判を聞いたのでGW中に観にいったわけですよ。ですが、映画館に入った瞬間に後悔しましたね。もう、どこもかしこもカップルだらけなんですよ。満員の映画館の7割はカップルだったんじゃないでしょうか。居心地悪いったらありゃしないです。俺はマゾだから耐えられる、俺はマゾだから耐えられると自分に言い聞かせて開演までの時間を必死にやり過ごしました。

で、映画の感想なんですが、
…いやいや、こんな映画をカップルで観にいくって、あんたらどんだけマゾなんだよ。って事ですね。
この映画館でマゾは私だけだと思ったら、7割のカップルの方がよっぽどマゾだったという。女性連れの男が映画を観終えて、搾り出すように言ってましたからね「…きつい」と。

要はこの映画って、恋愛映画は恋愛映画でも恋愛(あるいは結婚)の現実を描いた作品なんですよね。恋愛の始まりと終わりを描いているんです。しかも、始まりの輝かしい日々と終わってしまった日々とを対比させるように交互に描写して。そりゃ、観客の男もきついって言いますよ。
しかも、この作品はすれ違いの原因となるような決定的な事件を描いてないんですね。そして、主人公達はどうしようもないダメ男でもとんでもない悪女でもありません。つまりは、ごく普通のカップルです。我々と変わりません。だからこそ、きつい。我々にも起こり得る未来でもあり、体験してきた過去でもあるわけですから。


まあ、私から言わせてもらえば恋愛なんてオワコン、終わったコンテンツですよ。これからの時代は主従関係です。
主従関係にはブルーバレンタインで描かれていたような事は…

あるでしょうねぇ。

いや、いい映画でした。

M視点で語る映画④『エンジェルウォーズ』

射精するのが好きです。
…どんな書き出しだって話ですが。

射精にこだわるマゾを軽く見る風潮があるわけです。ああ、おたくまだそのレベルなのねみたいな。本物のマゾは脳で逝くから射精は必要ないんだよねえなんて言ってみたりして。
いえ、わかりますよ。私だって理想の主従関係を思い描いてみると、射精の入り込む余地がなかったりするのですから。何て言うんですか、主従関係に射精を持ち込まない主義っていうんですか。
それでも、マゾとしての見栄や奴隷としての理想を横に置いてみると抗えない想いが噴出するのです。
射精するのが好きだと。
射精するのが好きだ!
射精するのが好きだ!!

…何回も書くことじゃないですけど。

とはいえ、射精するのが好きだといっても毎日したいわけじゃありません、ましてや短時間に何回もすることはないわけです。
短時間で複数回射精は辛いですよー。そうですねー、2回目までは辛気持ちいいマゾとしての快感がありますけど、3回目以降は責め苦でしかありません。逆にいえば、SMに射精を取り入れるとすれば3回目以降ということですね。


そして、3回目以降は責め苦。
これが、私のエンジェルウォーズを観た感想です。
以前書いたかもしれませんが、私は女性がセクシーな衣装でバッタバッタと敵を倒していく映画が大好きです。ですから、この映画はどストライクです。
でもねえ、こう何回も何回も立て続けに流されるともうある種の責め苦ですよ。
最初のアクションシーンなんか滅茶苦茶格好いいんです。気持ちよくヌけましたもん(←比喩表現)。ところが、これが3回目となると、
「…もう無理です。触らないでください。」なんて具合で。

そうですね、前戯のないセックスと例えてもいいのかもしれません。
…セックスも碌にできないマゾのくせにそんな例えも何ですが。


ただこの作品はアクションシーンばかりでストーリーがないのではなく、アクションシーンでとあるストーリーが覆い隠されていたというストーリーなので、アクションシーンが多すぎると文句を言うのは見当はずれなのかもしれません。
それこそ射精を3回以上させないとSMとして成立しないように。


正直、もう1回観たいと思わないでもないんですよね。理解しきれてない気がするので。でも、またあのアクションシーン責め苦を味合わなければならないと思うと気が重いのも確かで…。いけませんね。マゾなのに。

そう、あるいはこうも表現できるのかもしれません。
私はこの作品の監督との絶倫対決に敗れたのだと。この監督は3回でも4回でもいけるんだろうなあ。

M視点で語る映画③『アンチクライスト』

実生活で密かに尊敬している女性がいます。
その方は会社の同僚(年齢は下)なのですが、私なんかとは比べものにならないほどやり手なんですね。それでいて、努力家で。しかも、優しいんですよね。当然、人望も篤くて後輩の女の子なんか羨望の眼差しです。
それを見るたびに、俺も堂々と羨望の眼差しを彼女に向けたいなあなんて思うのですけど。早く出世して私の上司になってほしいものです。
…なんて、マゾの私が書くと下心が見え隠れしていけませんね。マゾ的な下心はないですよ。彼女は尊敬の対象ではありますが、跪きたいと思うようなマゾとしての欲望の対象ではないのです。今のところは。
ただ、彼女との付き合いの中で二回だけ欲望の対象になった事があります。
一度目は私が仕事上でミスをして彼女に厳しく注意を受けた時です。情けない話ですが、彼女を怖ろしく感じたものです。無性に跪いて許しを請いたくなりました。
二度目は忘年会か何かのお酒の席で彼女とお話した時です。どういったきっかけか、彼女が今お付き合いしている男性についての話をはじめたのです。
彼女は相当にその男性を愛しているようでした。彼女は言っていました。
彼との子供を産みたいと。他の女性と話しているだけで嫉妬で気が狂いそうになると。彼を殺したいと。彼に殺されたいと。性生活に関するかなり際どい話もしてくれました。
つまりは、女性としての自分の話を赤裸々に語ってくれたのです。女性としての彼女は、社会人としての彼女など比べものにならないくらいエネルギーに満ち溢れていました。
その時、私が覚えた感情は「畏怖」だったのだと思います。
彼女の強烈なエネルギーを受け、マゾの欲望が膨れ上がっていきました。何もしてないのに射精してしまいそうでした。あと少しのきっかけがあれば、私は涙と精液を同時に流しながら彼女の足元に跪いたことでしょう。危ないところでした。

彼女の才能への尊敬とはまた別種の、もっと根源的な畏怖。いわば、女性の女性としての一面への畏怖というのは、もしかしたら男なら一度や二度感じるものなのかもしれません。
跪きたくなったり、射精しそうになったりするのはマゾたる私くらいでしょうが。
以下、ネタバレ注意

この作品によると16世紀のキリスト教文化圏では女というだけで迫害されていたそうです。
それは女性の女性としての一面に対する反応の一つの形ではなのでは、と単純な私は思ってしまいます。女性の女性としての一面に畏怖し、悪魔(=アンチクライスト)として迫害したのだと。
そして、本作は女性=悪魔=アンチクライストというキリスト教的(と監督が考える)価値観に乗っ取って作成されたように見えます。
そりゃあ、後味悪いストーリーにもなりますわな。悪魔が救われる事はないですから。逆にいうと、後味のいい救いのあるストーリーにしてしまったら、タイトルに偽りありとなってしまいます。
救いのあるストーリーにするなら、タイトルを『アンチクライスト』(反キリスト)から脱キリストにしなければならないのでしょう。
そう考えると、キリスト教批判の映画だったともいえるのかもしれません。反キリスト=アンチクライストな映画。

…って、キリスト教に無知なマゾの戯れ言ですけどね。


それにしても、かつてこれほどまでに森を恐ろしいものとして描いた作品があったでしょうか。今、思い返しても背筋が寒くなります。
異界としての森を描いた作品といえば、私なんかはとなりのトトロが真っ先に思い浮かのですが、まあ大違いですね。あの森に住むトトロは鬼のような形相をしているのだろうなあ。


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