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あらゆる物事をM視点で語るブログ

日々妄想

やはり今年度最強のマゾ映画

というわけで『風立ちぬ』観てきました。
 予告編から『世界の中心で愛を叫ぶ』みたいな話を想像していたわけですよ。余命幾許もない女性との純愛ものというか。ところが、実際観てみると、どうも変なんですよね。純愛ものとするにはストーリーがあまりに歪なのです。
 例えば、その手の物語には余命幾許もない女性とのデートシーンがあってしかるべきじゃないですか。『世界の中心で愛を叫ぶ』にはありましたよね。…あったんじゃないかな、多分。ところが『風立ちぬ』には一切ない。或いは、主人公が最愛の女性を襲った理不尽な運命を呪ったりするものじゃないですか。ほら例の「助けてください!」みたいな。こちらの作品ではですね、何かあっさり運命を受け入れてましたよ。
 結局のところ、『風立ちぬ』は純愛もので括られるような作品ではないのだろうなと。それはあくまで一部分で、物語の中心には置かれていないのでしょう。凄いですよね。最愛の人の生き死にが物語の中心に据えられてないんですよ。
 作品中、主人公が自分と彼女を評してこういったようなセリフをいいます。
 「僕たちには時間がないんです。」
 その時間のない中、主人公は何をしているのかといいますと、
 飛行機を作っているんですね。
 彼女、全然関係ないんです。普通、そういったセリフの後は彼女と過ごす時間を増やして思い出作りに励むものじゃないですか。『世界の中心で愛を叫ぶ』はそうでしたよ。…多分。この主人公は違うんですね。ただひたすら、
 飛行機を作っているのです。
 というか、主人公は物語の初めから終わりまで延々と、戦争が起ころうが、最愛の女性が不治の病にかかろうが、
 飛行機を作っているんですよね。誇張抜きで。
 つまり、この物語の中心に据えられてるのは「美しい飛行機を作る事」なんですよね。ですから、ある意味で「美しい飛行機を作る事」の障害として「病気の妻」が置かれているともいえるのかなと。そうなると純愛ものでもなんでもないですが。

 私は『ベルセルク』の黄金時代編みたいな話だなと思いました。「夢」や「美」などといった抽象的なものの為に、あらゆるものを踏みにじった、或いは踏みにじることを決意した男の話。つまり、『風立ちぬ』主人公堀越次郎=グリフィスですね。
 次郎さんは「美しい飛行機を作る」という夢のためにあらゆるものを踏みにじっていきます。延々と死体を積み上げ(そんな場面は描かれませんが)、遂には国をも滅ぼします。望んだわけではありませんが、結果的にはそうなります。次郎さんの心情は如何なるものか。明確には描かれません。そもそも、その是非を問う作品でもないのかもしれません。
 ただ、ラストに描かれる飛行機と光景の何と美しい事か!もうね、号泣ですよ。

 そして、当然ながらその美しい光景を描いた、宮崎駿を想うわけですよ。「夢」や「美」のためにあらゆるものを踏みにじってきた宮崎駿を。いや、よく知りませんけどね。
 
「~夢の王国だ。」
「地獄かと思った。」
「似たようなものだな。」

何とも、皮肉な会話です。そう、そこは地獄。あらゆるものを踏みにじり続けて作り上げた夢の王国。それでも、やはりそこは美しいのです。


 美しい映画。もうね、これに尽きると思います。ラストもそうだし、結婚式のシーンの美しさといったら…。賛否両論あるのもわかる気がします。私ももうちょっと脚本はなんとかならなかったのかと思いますしね。それでも、やっぱり『風立ちぬ』は大傑作ですよ。こんなにも美しい映画は、宮崎駿にしか作れないでしょう。

で、結局目を真っ赤に腫らしながら帰途に就くという羞恥プレイを受ける羽目になったわけですが。
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