強欲
遅ればせながら新年明けましておめでとうございます。
しばらく様子を見ていましたが、2012年になってもやっぱりMのようなので、受け入れて慎ましく生きていきたいと思います。
さて、先日『恋の罪』という映画を鑑賞致しました。
いや、衝撃的な作品でした。おかげでここのところこの作品についてばかり考えています。
いつか文章にまとめられたらとも思いますが、私の頭では無理かもしれませんね。
で、今日はネットで『恋の罪』に関する感想を読み漁っていた時に見つけた、園子温監督が語る『恋の罪』というタイトルの理由とそのエピソードが非常に面白かったのでその事について書いてみたいと思います。
園子温監督はインタビューでこう語っています。
恋」っていうのは英語で「LOVE」ではなくて「ROMANCE」なんですよ。それで、愛の罪ではなくて恋の罪。この時の「恋」っていうのは、ロマンスであってトキメキだと思うんですよね。だからトキメクことの罪、つまり抑圧から解放されるということはやはり、トキメキがあるわけで、そのトキメキのままに動くということは罪深いことが待っている
さらに、こちらのインタビューではこうも言っています。
タイトルには、僕のせつない話があるんです。以前つきあっていた女性にほかに好きな男ができて、別れ話になった。その時に、あなたのは愛だったけれど、これ(新しい男)は恋なのって言われた。もう、愕然としましたね。だから、愛の罪じゃなくて恋の罪(苦笑)。
考えてみると、正にそういった内容の作品なんですよね。恋=トキメキの罪深さを巡る物語。タイトルに偽りなしです。
そして、私がこの作品に魅力を感じている理由というのが、単純に恋の罪を糾弾しているように見えないところなんですよね。現に園監督はこのようなことも言っているのです。この作品は女性賛歌であると。間違っても恋愛賛歌ではありません。
…私が恋愛を物語る作品があまり好きではない理由がなんとなくわかった気がします。きっとそういった作品は恋愛賛歌でしかないからなのでしょうね。
例えば、私に愛する女性が出来たとします。女性も私を愛してくれていることが実感できます。愛のあるセックスをしたりします。お互い愛に満たされてます。
素敵なことですよね。そういった未来が待っていたらいいなと素直に思います。
でも、一方でそんな事あるわけないとも思うのです。というよりむしろ、そんなことあってはならないと思ってしまうのです。
私の愛程度で、女性の深淵な魂が満たされることなどあってはならないのです。私の愛程度で女性の自由な精神が囚われることなどあるわけがないのです。
…そして、一気に下世話になってしまいますが、私の貧相なセックス程度で女性が満足することなどあってはならないのです。
あなたは愛を信じますか?と問われれば、信じますと答えますか。ですが、女性の魂の深淵をより信じているのです。
別の言い方をするのなら、男の愛など一飲みしてしまう女性の強欲を信じ、そして、崇拝しているのです。
…何か怒られそうですが。
まあ、上記の園監督のエピソードは興奮するよねと書きたかっただけなのですけどね。
しばらく様子を見ていましたが、2012年になってもやっぱりMのようなので、受け入れて慎ましく生きていきたいと思います。
さて、先日『恋の罪』という映画を鑑賞致しました。
いや、衝撃的な作品でした。おかげでここのところこの作品についてばかり考えています。
いつか文章にまとめられたらとも思いますが、私の頭では無理かもしれませんね。
で、今日はネットで『恋の罪』に関する感想を読み漁っていた時に見つけた、園子温監督が語る『恋の罪』というタイトルの理由とそのエピソードが非常に面白かったのでその事について書いてみたいと思います。
園子温監督はインタビューでこう語っています。
恋」っていうのは英語で「LOVE」ではなくて「ROMANCE」なんですよ。それで、愛の罪ではなくて恋の罪。この時の「恋」っていうのは、ロマンスであってトキメキだと思うんですよね。だからトキメクことの罪、つまり抑圧から解放されるということはやはり、トキメキがあるわけで、そのトキメキのままに動くということは罪深いことが待っている
さらに、こちらのインタビューではこうも言っています。
タイトルには、僕のせつない話があるんです。以前つきあっていた女性にほかに好きな男ができて、別れ話になった。その時に、あなたのは愛だったけれど、これ(新しい男)は恋なのって言われた。もう、愕然としましたね。だから、愛の罪じゃなくて恋の罪(苦笑)。
考えてみると、正にそういった内容の作品なんですよね。恋=トキメキの罪深さを巡る物語。タイトルに偽りなしです。
そして、私がこの作品に魅力を感じている理由というのが、単純に恋の罪を糾弾しているように見えないところなんですよね。現に園監督はこのようなことも言っているのです。この作品は女性賛歌であると。間違っても恋愛賛歌ではありません。
…私が恋愛を物語る作品があまり好きではない理由がなんとなくわかった気がします。きっとそういった作品は恋愛賛歌でしかないからなのでしょうね。
例えば、私に愛する女性が出来たとします。女性も私を愛してくれていることが実感できます。愛のあるセックスをしたりします。お互い愛に満たされてます。
素敵なことですよね。そういった未来が待っていたらいいなと素直に思います。
でも、一方でそんな事あるわけないとも思うのです。というよりむしろ、そんなことあってはならないと思ってしまうのです。
私の愛程度で、女性の深淵な魂が満たされることなどあってはならないのです。私の愛程度で女性の自由な精神が囚われることなどあるわけがないのです。
…そして、一気に下世話になってしまいますが、私の貧相なセックス程度で女性が満足することなどあってはならないのです。
あなたは愛を信じますか?と問われれば、信じますと答えますか。ですが、女性の魂の深淵をより信じているのです。
別の言い方をするのなら、男の愛など一飲みしてしまう女性の強欲を信じ、そして、崇拝しているのです。
…何か怒られそうですが。
まあ、上記の園監督のエピソードは興奮するよねと書きたかっただけなのですけどね。