ワールドカップと贔屓チームとS女性
趣味には人に言えるものと人に言えないものがあります。
私の人に言えない趣味は、素敵なS女性のブログを読んでハアハアする事です。
人に言える趣味は読書、そしてサッカー観戦です。
そう、私はサッカー観戦が趣味なのです。毎週ごとにテレビでスタジアムでJリーグの某贔屓チームを応援しています。
当然、サッカーファンとしてワールドカップも観ました。楽しかったですねえ。
スペインの精緻なパスワーク。
若きドイツの躍動。
ブラジルの崩壊。
スアレスの神の手。
人もボールも走る南米風味、ビエルサチリ。
そして、日本代表の奮闘。
素晴らしい1ヶ月間でした。
でもねえ、何か物足りないんですよ。ワールドカップに比べればレベルが劣る贔屓チームの試合が早く観たい、そんな事を思っていました。
物足りないものとは何か、その答えをイギリスのとある大学講師が次のような言葉で表現しています。
「プロサッカークラブは苦痛を観客に売っている」
そう苦痛が足りないのです。
私にとってワールドカップには夢や感動があるけど、苦痛がないんですよ。
その点、贔屓チームは違います。必要以上に苦痛を与えてくれます。
残りワンプレーで点を取られ逆転負けする。
前半15分足らずで3点取られて、あっさり勝敗が決まる。
キーパーがボールを自陣ゴールに投げ入れる。
期待の若手が他チームにあっさり移籍する。
その若手にゴールを決められる。
2部に降格する。
等々。
多種多彩な苦痛を与えてくれます。
そして、だからこそ贔屓チームから離れられない。
何でしょうね、これ。
苦痛が好きなわけじゃないのです。でも、苦痛を与えてくれるからこそ愛おしいし、苦痛を与えてくれるからこそ安心できるのです。
そういえば、自分のSM観(と書くと大袈裟になってしまいますが)もそんな感じだなと。
別に苦痛が好きなわけではないのです。でも、罰としてであれ、気紛れであれ苦痛を与えて下さる方を思うと高ぶり、安心します。
鞭打たれたいわけではないけど、この方は私を鞭打って下さるのだと実感できないと不安で仕方ありません。
ある意味失礼ですけどね。
きっと臆病者なのだと思います。だからこそ、苦痛を与えてくれる存在に惹かれるのでしょう。
上手く表現できませんが。
私の人に言えない趣味は、素敵なS女性のブログを読んでハアハアする事です。
人に言える趣味は読書、そしてサッカー観戦です。
そう、私はサッカー観戦が趣味なのです。毎週ごとにテレビでスタジアムでJリーグの某贔屓チームを応援しています。
当然、サッカーファンとしてワールドカップも観ました。楽しかったですねえ。
スペインの精緻なパスワーク。
若きドイツの躍動。
ブラジルの崩壊。
スアレスの神の手。
人もボールも走る南米風味、ビエルサチリ。
そして、日本代表の奮闘。
素晴らしい1ヶ月間でした。
でもねえ、何か物足りないんですよ。ワールドカップに比べればレベルが劣る贔屓チームの試合が早く観たい、そんな事を思っていました。
物足りないものとは何か、その答えをイギリスのとある大学講師が次のような言葉で表現しています。
「プロサッカークラブは苦痛を観客に売っている」
そう苦痛が足りないのです。
私にとってワールドカップには夢や感動があるけど、苦痛がないんですよ。
その点、贔屓チームは違います。必要以上に苦痛を与えてくれます。
残りワンプレーで点を取られ逆転負けする。
前半15分足らずで3点取られて、あっさり勝敗が決まる。
キーパーがボールを自陣ゴールに投げ入れる。
期待の若手が他チームにあっさり移籍する。
その若手にゴールを決められる。
2部に降格する。
等々。
多種多彩な苦痛を与えてくれます。
そして、だからこそ贔屓チームから離れられない。
何でしょうね、これ。
苦痛が好きなわけじゃないのです。でも、苦痛を与えてくれるからこそ愛おしいし、苦痛を与えてくれるからこそ安心できるのです。
そういえば、自分のSM観(と書くと大袈裟になってしまいますが)もそんな感じだなと。
別に苦痛が好きなわけではないのです。でも、罰としてであれ、気紛れであれ苦痛を与えて下さる方を思うと高ぶり、安心します。
鞭打たれたいわけではないけど、この方は私を鞭打って下さるのだと実感できないと不安で仕方ありません。
ある意味失礼ですけどね。
きっと臆病者なのだと思います。だからこそ、苦痛を与えてくれる存在に惹かれるのでしょう。
上手く表現できませんが。