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あらゆる物事をM視点で語るブログ

日々妄想

受け継がれる魂

 今の10代20代位の方は汲み取り式のトイレを使用したことがあるのだろうか。ふと気になったので検索してみたところおよそ30%の方が使用したことがないという調査結果が出てきました。
 くみ取り式トイレ(ボットン便所)を使ったことがない人を調査!20代は3割が未体験
 意外と多いなという感想です。私はむしろ70%位の方が使用したことがないと思っていました。皆さん登山やキャンプ等で自然豊かな場所に行った時に遭遇したりしているのかな。あるいは野外音楽フェス等での仮設トイレか。
 私も勿論使用したことあります。祖父の家が汲み取り式トイレでしたからね。子供の頃は長い休みのだびに遊びに行ってましたから、結構な回数使っていたはずです。
 いや、嫌でしたね。何回使っても慣れなかった。祖父も祖母も祖父の家も大好きでしたけど、トイレだけがとにかく嫌だった。
 建てつけが悪く開け閉めするだびに不気味な音が鳴る扉。ところどころが欠けた古びた赤茶けたタイルの床。手触りが何とも気持ちの悪い土壁。そして、ぽっかりと口をあけた和式トイレ。その口を覗くと暗闇が広がっていて。
 落ち着かない、尻の据わりが悪い感覚。
 何かがいる、というより、何かがある、そんな実感もあって。
 居心地が悪い。
 そこは楽しい場所である祖父の家ではない、別の場所だと思っていた気がします。
 きっと子供の頃の私にとって祖父の家のトイレは異界だったのでしょう。いいえ、今の私にとってすら異界であるように思います。
 そして「別の場所」であるという感覚はやはり、汲み取り式トイレだからこそ覚えるものであるように思います。どんな辺鄙な場所、不気味な場所であろうと、そこが水洗トイレであったら異界感は薄れてしまうのではないでしょうか。少し前に「トイレの神様」という曲が流行りましたが、トイレに神様がいるという発想は汲み取り式トイレならではな気がします。水洗トイレには神様はいないね。
 では何故、汲み取り式トイレには異界感があって、水洗トイレにはそれがないのか。わからないとしか言いようがありません。やはりあの穴が鍵なのでしょうか。
 とはいえ、実感として誰もが感じるはずです。汲み取り式トイレにはあり水洗トイレにはないと。
 トイレの水洗化によって神は死に、異界は消え去った。代わりに我々は「ここではないどこか」ではなく「ここである」という、言い換えれば居心地のよさを得たわけだ。そこでは本も読めるし、何だったら食事すらできる。
 そうなると贅沢なもので、汲み取り式トイレという異界が懐かしく思えてきたりもします。祖父の家の汲み取り式トイレ。もうありませんが。
 汲み取り式トイレはいずれなくなるのでしょう。もう戻れはしない。
 ならばせめてその魂は受け継ごうではないか。
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makoto139

Author:makoto139
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